高崎ふるさと大使のあの場所は今 ~ アルバイトの思い出が蘇る桑畑 ~
群馬の世界遺産といえば富岡製糸場で、上毛かるたにも「繭と生糸は日本一」とあるように絹の生産地として県内外で名高いですね。かつては高崎でも養蚕業が盛んだったようですが、今回思い出を伺いました川原畑浩さん(同窓会関西支部長)は学生時代にそれを肌で感じ、アルバイトとして携わるという経験をされたそう。まずはいただいたエピソードをご覧いただきたいです。
私の思い出の風景は、50年前に初めて大学を訪れた折の大学の周辺です。そこに等間隔で、丈が1mにも満たないこぶのたくさんある樹木が植えられているのです。
これが桑の木であることを教えられました。
6月の梅雨のころだと思いますが、 1週間徹夜のアルバイトをしました。 前述の桑の葉を食した蚕が、繭となり、乾燥所へ集荷されて来るのです。私もバスケットボール部の一員として合宿代を稼ぐために、トラックで運び込まれた生繭を乾燥室へ送るベルトコンベヤーに、ひたすら入れ続けました。私達には、運動で鍛えた体力と毎夜の麻雀での夜更かしも得意でしたので大変重宝されました。
高崎の発展を支えた、こうした産業、風景、施設は、どうなっているのでしょうか。集荷場・乾燥所はまだあるのかな。
(一部抜粋)
「大学周辺の桑畑」や「集荷場・乾燥所」を探すために大学周辺を散策してみたものの、桑畑すら見たことのないので、自力の調査では万策尽きてしまいました。
というわけで有識者の知見を得るために、高崎市金古町にある群馬県立日本絹の里へお話を伺いにやってきました。
—50年前の高崎での養蚕業の様子を教えていただけませんか。
約50年前の昭和48年度の統計資料によりますと、養蚕業を営んでいた戸数が旧高崎市(倉渕町、群馬町、箕郷町、榛名町を除く高崎)で2647戸、繭の収穫量が約92万キロです。これは令和4年度の群馬県全体では戸数が約60戸、収穫量が約2万キロという数と比較しても市内だけで相当の業者・収穫量があったといえます。
昭和50年代頃の群馬県内で撮影されたと思われる桑とり
(写真提供:群馬県立日本絹の里)
昭和50年代頃の群馬県内で撮影されたと思われる桑くれ
(写真提供:群馬県立日本絹の里)
これだけの収穫量があったので、繭の乾燥というのもすごく忙しかったわけです。農家で繭ができると、繭を乾燥させるわけですね。というのは、繭玉の中にさなぎが入っていて放っておくと繭に穴をあけて出てきてしまうのですね。そうするともう糸を引けなくなるのです。それを防ぐために乾燥させるのですね。ところがさなぎになるまでの時期がすごく短いのです。だいたい繭を作り始めてから8日間くらいで工場に出荷するわけですけど、そこからあと何日かすると蛾が出てきてしまう。だから農家から出荷された大量の繭を短い時間でみんな乾燥させるために学生さんを乾燥所でたくさん雇っていたのではないかなと思われますね。
昭和50年代頃の群馬県内で撮影されたと思われる繭の出荷と乾燥
(写真提供:群馬県立日本絹の里)
—短い期間でやらなければならなかったために学生アルバイトの需要があったのですね。ちなみに現在の高崎市では養蚕業者は残っているのでしょうか。
統計上では令和4年度で高崎市は7戸、旧高崎市に3戸残っているようですが、昭和の資料とくらべるともう1000分の1の単位で減っていますね。やはりほとんど廃業していってしまったといえますね。しかし少なくなったとはいえ繭の生産量は今も日本一です。
日本絹の里で人工飼料を作るために管理されている桑畑
—そもそもなぜ群馬は養蚕業が盛んなのですか?
群馬県全体で関東ローム層が多くて、これは水田には向かない土地なのです。その中で桑が土地に適した作物だったのですね。それで養蚕をして貴重な現金収入としていたということですね。
桑畑も養蚕業者同様に減っているそうですが、この施設では蚕の人工飼料を作るために栽培しているので桑畑も見せていただきました。
さらに養蚕の歴史を知るために「日本絹の里」の見学を行いました。日本の絹産業の起こりから日本各地の織物紹介などがされており、見応えのある展示でした。また機織り機でコースターを作る体験や染色で作品を作る体験などが実施されており、とても面白そうでした。
目を引く展示として、桑の葉取りの体験と生きた蚕の様子を見ることができるものがありました。繭玉を見たり触れたりすることはあっても生きた蚕を触ることができるとは思っていなかったので驚きでした。繭を作る直前の蚕は5センチほどあり、手に乗せると頭だけを動かしておりこの動きによって丸い繭が形作られるのだそうです。桑の葉を食べる蚕たちのスピードは尋常ではなく、咀嚼音が聞こえてくるほどでした。恐るべき成長力です。
ミュージアムショップでは絹を用いた商品が販売しており、布製品以外にも石鹸や化粧品など様々ありました。ぜひ群馬土産にいかがでしょうか。
館長さんお勧めのシルク石鹸
高崎の養蚕業について調査を進めて、乾燥所や桑畑は在りし日の高崎の風景になっていることがわかりました。しかし、それらの様子を今に伝える場所があることによって、「繭と生糸は日本一」な群馬に愛着や誇りを感じられるのかなと思っています。
今回思い出を寄せていただいた川原畑さん、日本絹の里の皆さんありがとうございました。
記事作成:オオスミウム(経済学部経済学科3年)